日向古代史疑

日向古代史疑

男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳埋葬者を推理する

令和時代をさかのぼること、1600年~1700年前に、齋殿原(西都原)に、二つのおおきな前方後円墳が築かれました。 この時代、権力者たちは、死後のすみかとして、このような巨大古墳を築くことが流行っていました。 大和政権の支配する...
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神武天皇東征記は日本最古の観光案内書だった!

神武天皇は高千穂峰のふもと、狭野(さの)でうまれ、15歳までこの地ですごしました。 その後、宮崎に移りすみ、45歳までの30年間をすごしました。 当時の生死観からして、すでに高齢者です。(126歳で亡くなったとの説からすれば、青...
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西都原古墳群

満月に照らし出される前方後円墳。古墳全面をおおっている葺き石の段上には 埴輪が整然とならべられていた。生目古墳では高筒埴輪や、壺土器がおおかったようですが、 大阪や奈良地方の古墳には、武士や農民などの、人物埴輪もおおくならべられました。...
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西都原古墳舟形埴輪と髪長姫の深い関係

西都原古墳群出土の埴輪の中で一般的によく知られている「子持家形埴輪」と「船形埴輪」。 これら二つの埴輪から見えてくるのは、当時の大和朝廷支配国のなかで、日向国は最先端の構造物をつくるだけの技術力と財力を、かねそなえていた地方国家でした...
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男狭穂塚と女狭穂塚3

男狭穂塚の方形状の墳丘部分は、もっと長くのびているはずなのに 途中で断ちきれたようなかたちで、終わっています。 考古学者達はこの古墳の形を、ホタテ貝式古墳とよんでいます。 それにくらべて、女狭穂塚古墳のほうは、巨大な前方後円墳...
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男狭穂塚と女狭穂塚2

男狭穂塚は諸県君・牛諸井、女狭穂塚の埋葬者は 妻の大原妃と想定します。 これまでは宮内庁が、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と このはなさくやひめに想定し、 郷土史家が豊国別大君にあてたりしていましたが、 造営当時は生存していた...
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男狭穂塚と女狭穂塚

男狭穂塚と女狭穂塚に埋葬されたのは誰? 男狭穂塚古墳の実際の埋葬者は明らかではありません。 宮内庁では埋葬者を特に定めない陵墓参考地(男狭穂塚陵墓参考地)にしています。 埋葬者候補者として瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を挙げ ...
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