宮崎の観光遺産がまたひとつ消えた 宮崎市ホテル浜荘廃業

大淀河畔
大淀河畔
大淀河畔

大淀河畔 かっての旅館やホテルの大半はマンション等に ホテル浜荘は鉄橋の奥に見えます。

新婚夫婦の夢をはぐくんだ宮崎市吾妻町

吾妻町といえば、戦前から終戦後にかけて、遊郭があった場所です。

最盛期には100名前後の遊女たちがいて、宮崎の殿方たちの、夜の社交場としておおいに繁栄していたと語りつがれています。

1958年に売春防止法が施行されてからは、吾妻町一帯の遊郭街は、旅館などに形態をかえていきました。

1960年代(昭和40年)頃からは、宮崎が一大新婚旅行ブームに沸きはじめると、吾妻町の旅館街も、それにあわせて、近代的な設備を整えた旅館やホテルに衣替えしていきました。

ホテル浜荘もそんな一つで、新婚旅行ブームのころは、吾妻町の狭い道路を新婚さんを乗せたタクシーがひっきりなしに行き交っていました。

夕闇迫るころには、手をつなぎながら西に向かう新婚さん達が目立ちました。

少し西に歩けば、そこはヤシの樹がつらなる大淀河畔沿いの橘公園でした。

川端康成書き下ろしの宮崎を舞台にしたNHK連続テレビドラマ「たまゆら」やデューク・エイセスが歌った「フェニックスハネムーン」の背景に夢心地で、多くの新婚さん達は宮崎の夜に浸っていました。

夢ははかなく去って行った

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いつか新婚旅行ブームも下火になり、高度成長経済にも陰りが見えはじめると、宮崎の観光産業は少しずつ勢いをなくしていきました。

当時は新婚旅行客を呼び込むほかには、これといった宮崎の起爆剤は見当たりませんでした。

スポーツランド宮崎として、野球やサッカーのキャンプ地として宮崎が有名になり始めたのは、十数年前からのことです。

新婚旅行ブームが去ってしまうと、橘公園通りに軒を連ねていたホテルや老舗の旅館も次々と廃業していきました。

今では宮崎観光ホテルとホテル金住が営業をつづけているぐらいです。

宿泊施設の形態も、シティーホテルやビジネスホテル形式が主流になりました。

場所も駅前や市の中心部の場合が多く、宮崎駅や中心街から少し離れた位置の吾妻町周辺では、現在の需要に対応しきれない部分がありました。

 大淀川を望む宮崎市吾妻町のホテル浜荘が5月末で廃業した。同市の企業が土地と建物を競売で取得しており、新たに賃貸マンションが建設される予定。かつて...

宮崎の観光遺産がまたひとつ消えた

ホテル浜荘は今後、競売を経て、マンションに衣替えするようです。

橘公園通りに面した高層ビル群の大半は、マンションやラブホテルになりました。

宮崎の観光遺産がまたひとつ消えた 宮崎市ホテル浜荘。長い間、お疲れ様でした。

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