広告

【昭和】歌声喫茶・樺美智子・集団就職・氷壁など昭和の思い出

広告
波紋
波紋
広告
広告

1950年代 嵐の前の静かさが漂っていた

ダークダックスの始まりは、慶応大学の男声合唱団ワグネルソサエ
ティでした。

当時の若者たちは、喫茶店に集まって、ロシア民謡や唱歌、童謡などを、
みんなで声を揃えて合唱していました。

リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを主目的としている。伴奏はピアノアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。歌われる歌はロシア民謡唱歌童謡労働歌反戦歌歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。

発祥については諸説あり、1950年(昭和25年)ごろ、東京・新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになった、また、当時公開されたソ連映画シベリア物語」に同様なシーンがあり、これに影響されたともいわれている。ウィキペディア

共に歌うことで連帯意識が芽生えはじめた時代

ダークダックスが活躍をはじめた時期と、歌声喫茶が盛況し始めた時期が、ちょうどリンクします。

ダークダックスの洗練された都会的なセンスと、清冽なハーモニーは、地方から東京の大学に進学してきた学生達に圧倒的に受け入れられました。

また、家庭の経済的な理由で、大学進学が出来ない地方の若者たちが、東京に集団就職でやって来て、寂しさを紛らわす場でもありました。

彼らは歌声喫茶に集まって「ともしび」に代表されるロシア民謡や、童謡を歌うことで、心を満たしていました。

東京・新宿にあった「カチューシャ」・「灯(ともしび)」は代表的な歌声喫茶でした。

東大生・樺美智子(22歳)は現安倍首相の叔父岸信介首相の犠牲に倒れた

歌声喫茶の人々の連帯が、後の労働運動や学生運動・60年安保闘争など人々の連帯意識を芽生えさせる要因の一つになりました。

安保闘争(あんぽとうそう)は、1959年昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模暴動である。自由民主党など政権側からは、「安保騒動(あんぽそうどう)」とも呼ばれる。ウィキペディア

60年安保は現在の安倍首相のおじさん岸信介首相の時です。

60年6月15日。この日のストには580万人が参加したと言われています。全商連では全国3万店で閉店ストを行なった。

デモの規模は、今日では想像すら出来ないほどの、大規模場ものでした。

国会前の車道は、三方とも抗議の人々で埋め尽くされていました。

昨今の戦争法案反対のデモと比べると、アリとゾウの違いです。

そんなデモの最中に、東大生・樺美智子(22歳)さんが転倒したところ、人々が雪崩的に転倒した学生らの下敷きとなって圧死した。

東大生・樺美智子(22歳)の死は当時、国民に衝撃的に受け止められました。

安倍首相は昨年、おじさんの岸信介首相がやったと同じ事を、国会で強行採決しました。

同年6月15日のデモで全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入して警官隊と衝突した際に死亡した。22歳没。

死亡当日は、淡いクリーム色のカーディガンに白のブラウス、濃紺のスラックス姿だった。

6月15日の事件はラジオでも実況中継され、樺美智子の死は多くの人に衝撃を与えることとなった。事件当日に、樺が所属していた国史研究室の先輩にあたる伊藤隆(当時修士2回生)と、「卒論の準備は進んでいるか」「今日を最後にするからデモに行かせてほしい」「じゃあ、それが終わったら卒論について話をしよう」という会話を交わしている。ウィキペディア

集団就職列車

高学歴で活躍する若者がいる一方で、農家の次男以降の子供たちが、中学校を卒業した直後に、主要都市の工場や商店などに就職するために、臨時列車に乗って旅立つ若者達も大勢いました。

臨時列車は「集団就職列車」とも呼ばれ、日本列島各地から、大阪や東京などの大都市を目指して出発していきました。

高校や大学に進学したくても、家庭が貧しくて諦めざるをえない15歳の若者の数は、地方にあふれていました。

はやく就職して、貧しい家庭を支えたい。

都会で働きながら、夜間高校や大学で学びたい。と、胸をふくらませながら、地方の15歳は都会に集団就職していきました。

『あゝ上野駅』井沢八郎

当時彼らは「金の卵」と呼ばれるほどの、貴重な労働力でした

日本の高度経済成長を下支えしたのは紛れもなく、15歳で「集団就職」してきた若者達の力でした。

特に都会の零細企業にとって、地方からやってくる15歳の若者は「金の卵」と呼ばれるほど、大切な人材でした。

町工場・クリーニング店・ソバ屋や食堂の出前配達などは、彼らが大きく支えてきました。

【1975年3月】 集団就職 金の卵の希望と不安

氷壁 当時のベストセラー

井上靖の長編小説。1956年2月24日から1957年8月22日まで「朝日新聞」に連載され、1957年に新潮社から単行本が刊行された。

切れるはずのないナイロンザイルが切れたために登山中に死亡した友人の死を、同行していた主人公が追う。
1955年に実際に起きたナイロンザイル切断事件の若山五朗、北鎌尾根で遭難死した松濤明、芳田美枝子(奥山章夫人)ら複数のモデルがいる。友情と恋愛の確執を、「山」という自然と都会とを照らし合わせて描いている。ウィキペディア

様変わりの登山ブーム

日本山岳会隊がマナスルに初登頂したことも重なって、登山ブームがおこりました。

当時の山行といえば、きつい、汚い、不便が当たり前でした。

最近の登山は、装備品の軽量化され、山小屋も近代化されているようです。

スマホで撮影した山岳写真をSNSで発信したりして、山行の魅力を拡散しているようです。
氷壁 (新潮文庫)
氷壁 [DVD]

こんな記事も書いています。
消えゆくビデオデッキとさまよえる「サザエさん」一家

広告