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男狭穂塚と女狭穂塚3 日向古代史疑

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男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館
男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

男狭穂塚の方形状の墳丘部分は、もっと長くのびているはずなのに
途中で断ちきれたようなかたちで、終わっています。

考古学者達はこの古墳の形を、ホタテ貝式古墳とよんでいます。

それにくらべて、女狭穂塚古墳のほうは、巨大な前方後円墳のすがたを
優美にのこしています。

実際には、このようなグラフィック画像でしかみることはできませんが。

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親子二代にわたる運命の出会いが二つの古墳の形をかえた

男狭穂塚・女狭穂塚配置図

男狭穂塚・女狭穂塚配置図  西都原考古博物館

髪長姫は、ふるさと日向を旅立ち、やがて、応神天皇の待つ宮廷に到着しました。

ある日、髪長姫をもてなす宴の席で、次期、仁徳天皇になられる、大雀命と出会います。

都人もおよばぬ髪長媛の顔容姿のあまりの麗しさに、朝廷のひとびとは、息をのむほどでした。

大雀命は髪長媛が湊についたとき、応神天皇につき従っていました。

の日、はじめて髪長姫をみて、その乙女姿容の端正さに感動したことを天皇に上奏しました。

応神天皇は大雀命の意を察して、髪長姫を大雀命にめとらせることにしました。

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

二人の確執

諸県君・牛諸井にとって、娘の髪長姫が仁徳天皇の后になる以上は
自分の古墳は、それにふさわしいものでなければと考えました。

男狭穂塚の造営は順調にすすんでいました。

後円部がほぼ整い、前方部に取りかかりはじめた頃に

「私の古墳も、あなたの横につくりたい」

と、妻の大原妃がいいました。

当時の葬儀のすがたとして、配偶者が亡くなると
実家のふるさとに葬られる風習がありました。

諸県君・牛諸井はそのことをいって、大原妃をなぐさめました。

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

二大古墳解明

大原妃は応神天皇家につながりがあり、仁徳天皇の后の母親でもあることをたてに、
自分の希望をゆずろうとはしません。

「やむをえない」

との判断で、諸県君・牛諸井は自分の古墳造営を一時、中断して
妻の大原妃の古墳のほうを、さきに完成させました。

それが、いま、われわれが目にする男狭穂塚と女狭穂塚のすがたです。

男狭穂塚と女狭穂塚のいま

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子 通常は一般人ははいることはできません。

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