男狭穂塚と女狭穂塚3

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館
男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

男狭穂塚の方形状の墳丘部分は、もっと長くのびているはずなのに
途中で断ちきれたようなかたちで、終わっています。

考古学者達はこの古墳の形を、ホタテ貝式古墳とよんでいます。

それにくらべて、女狭穂塚古墳のほうは、巨大な前方後円墳のすがたを
優美にのこしています。

実際には、このようなグラフィック画像でしかみることはできませんが。

親子二代にわたる運命の出会いが二つの古墳の形をかえた

男狭穂塚・女狭穂塚配置図

男狭穂塚・女狭穂塚配置図  西都原考古博物館

髪長姫は、ふるさと日向を旅立ち、やがて、応神天皇の待つ宮廷に到着しました。

ある日、髪長姫をもてなす宴の席で、次期、仁徳天皇になられる、大雀命と出会います。

都人もおよばぬ髪長媛の顔容姿のあまりの麗しさに、朝廷のひとびとは、息をのむほどでした。

大雀命は髪長媛が湊についたとき、応神天皇につき従っていました。

の日、はじめて髪長姫をみて、その乙女姿容の端正さに感動したことを天皇に上奏しました。

応神天皇は大雀命の意を察して、髪長姫を大雀命にめとらせることにしました。

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

X-T2 (18mm, f/3.2, 1/60 sec, ISO800)

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館二人の確執

諸県君・牛諸井にとって、娘の髪長姫が仁徳天皇の后になる以上は
自分の古墳は、それにふさわしいものでなければと考えました。

男狭穂塚の造営は順調にすすんでいました。

後円部がほぼ整い、前方部に取りかかりはじめた頃に

「私の古墳も、あなたの横につくりたい」

と、妻の大原妃がいいました。

当時の葬儀のすがたとして、配偶者が亡くなると
実家のふるさとに葬られる風習がありました。

諸県君・牛諸井はそのことをいって、大原妃をなぐさめました。

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

X-T2 (18mm, f/3.2, 1/60 sec, ISO800)

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館二大古墳解明

大原妃は応神天皇家につながりがあり、仁徳天皇の后の母親でもあることをたてに、
自分の希望をゆずろうとはしません。

「やむをえない」

との判断で、諸県君・牛諸井は自分の古墳造営を一時、中断して
妻の大原妃の古墳のほうを、さきに完成させました。

それが、いま、われわれが目にする男狭穂塚と女狭穂塚のすがたです。

男狭穂塚と女狭穂塚のいま

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子

男狭穂塚と女狭穂塚のいまの様子 通常は一般人ははいることはできません。

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