古墳文化を世界が認めた・注目の西都原古墳群 日向古代史疑

生目古墳イメージ写真
生目古墳イメージ写真

満月に照らし出される前方後円墳。古墳全面をおおっている葺き石の段上には
埴輪が整然とならべられていた。生目古墳では高筒埴輪や、壺土器がおおかったようですが、
大阪や奈良地方の古墳には、武士や農民などの、人物埴輪もおおくならべられました。

世界にみとめられた古墳文化

日本最大の前方後円墳の仁徳天皇陵をふくむ「百舌鳥・古市古墳群」が、
2019年7月6日、世界文化遺産に登録されました。

古墳時代の社会政治的な構造や、洗練された葬送の伝統を証明し、
「当時の文化を代表する類まれな物証」で、世界遺産にふさわしいと評価しています。

古墳とは3世紀後半から6世紀にかけてつくられた、権力者たちのお墓です。

つくられた最盛期は4世紀から5世紀にかけてです。

西都原古墳

前方後円墳のイメージグラフィック画像 西都原考古博物館

西都原古墳群にも巨大前方後円墳はあった

西都原には、いまも300基をこす古墳がのこされています。

前方後円墳、円墳、方墳、横穴式古墳などがあります。

横穴式古墳は南九州地方に残されており、その大半は、当時の日向国府内につくられました。

西都原古墳群のなかで一番大きな古墳は、男狭穂塚古墳と女狭穂塚古墳です。

両古墳の特徴は、おなじ敷地に後円部がならべてつくられていることです。

埋葬者同士が頭を並べているようにも、思えます。

  • 西都原古墳

想像力がふくらむ埋葬者は誰?

古墳時代はまだ、文字がありませんでした。無文字の世紀と呼ばれています。

今回、世界遺産に登録された仁徳天皇陵も、埋葬者は断定はできないでいるのです。

西都原の狭穂塚古墳と女狭穂塚古墳の埋葬者も、特定の人物は指名されていません。

男狭穂塚・女狭穂塚配置図

男狭穂塚・女狭穂塚配置図 西都原考古博物館

どうして、このように二つの古墳が、隣り合わせにつくられたかは、謎です。

鬼の岩屋古墳

西都原古墳群のなかで特異な古墳が、鬼の岩屋古墳です。

名前の由来は、巨大な岩組を、鬼が一夜のうちにつくった。
と、考古学者はいっています。

もちろんそんな魔法のようなことはありません。

6世紀頃の、古墳師たちが知恵と努力をかさねて、つくりあげられたものです。

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