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神武天皇東征記は日本最古の観光案内書だった! 日向古代史疑6

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神武東征
神武東征

神武天皇は高千穂峰のふもと、狭野(さの)でうまれ、15歳までこの地ですごしました。

その後、宮崎に移りすみ、45歳までの30年間をすごしました。

当時の生死観からして、すでに高齢者です。(126歳で亡くなったとの説からすれば、青年期)

側近たちと競技して、

豊かで平和な国づくりをめざして、宮崎・美々津から東に向かいました。

その間、各地に寄港しながら、最終目的地、奈良・橿原に到着するのは、6年後のことです。

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神武天皇東征記は日本最古の観光案内書だった

豊かで平和な国づくりをめざしているのであれば、一刻も早く到着して、目的を果たしたいはずです。

寄り道をせずに、直行しなかった理由として、まず、

当時の舟は、丸太をくりぬいた、くり舟です。

手こぎで、乗れても、一隻に5人前後でしょう。

そんな舟で、東征していったのです。

沿岸航法で、海の様子を見ながら、島影や、浜辺に寄港しながらの航海です。

次に各地で戦闘や事業をおこなっています。

古事記・日本書紀の編者たちの発想として、これを機に、当時の大和朝廷の支配にあった西日本各地の伝承などの記述化をはかったのではないか。

とくに古事記は、物語性が豊富でドラマチックに表現されています。

飛鳥時代以降、古事記をよんだ知識人たちは、古事記を観光案内書としても愛読していたはずです。

さらに進歩人たちは丸木舟よりも進化した、準構造船にのりこんで、各地の古事記の旅をたのしんだものとおもわれます。

船形埴輪 西都原古墳出土

船形埴輪 西都原古墳出土 このような準構造船で古事記の旅をたのしんだ。

日本人の祖先が約3万年前に台湾からどう渡来したのかを探る『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』。国立科学博物館などのチームは日本時間7月9日正午前、手作り丸木舟によって台湾東岸から約200キロもの航…

日本書紀の主筆は日向に関係ある人物だった

宮崎考古第20号日高正晴氏記述によると

日本書紀編纂にたずさわった12名の史局員うちの2名は、日向に関わりのふかい人物だったそうです。彼ら2名が主筆となって、自ら筆をとり書きすすめた。とあります。

イザナミ・イザナギ命からはじまり、仁徳天皇の后になられる髪長姫までの
日向を表舞台として書かれた、日本創世記が彼らの草案と、稗田阿礼と太安万侶の編集で完成したと考えるとおもしろいですね。

語り部たちの創作や誇張も反映

神武天皇は実在した。第二次世界大戦中までは、この考え方が主流でした。

敗戦後は、GHQの横やりで、一転して明治天皇は神話びと、にされてしましました。

神武天皇を神話びと、にして、この神武天皇一代記を書き上げた人々の
想像力、創作力はおどろくべきことです。

古事記・日本書紀に素材や資料を提供したであろう人々の語りが、
過去の歴史の事実をそのまま語っているとは思えません。

当時、すでに数百年から1000年以上まえの縄文時代のことを語ることき、
語り部たちの創作や誇張が反映されたはずです。

1が100年後には10になり、さらに1000年後には、100が事実として語りつがれながら、記録されていったのではないでしょうか。

西都原古墳舟形埴輪と髪長姫の深い関係 日向古代史疑

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