木花神社と謡曲「桜川」の舞台になった霊泉桜川

春の足音
春の足音

霊泉桜川

木花神社の御祭神コノハナサクヤヒメが三皇子を出産されたとき産湯に使われたと伝えられている霊泉である。

藩政時代は飫肥藩主伊藤氏が、木花神社参拝の折は必ず愛飲し、地元住民もまた飲用水として重宝してきた。

近年、湧水量が減少したのは惜しいことである。

昔、この泉のほとりに貧しい夫婦がいた。その子供桜子はそれを見かね自ら人買いに身を売り、密かにこの地をはなれた。

母親はそれをなげき悲しみ、我が子を探し求めて旅に出た。
三年の後、常陸国桜川で今は僧になった桜子にめぐりあい、母子ともこの地に帰り幸福に暮らしたという。

謡曲「桜川」

桜子はコノハナサクヤヒメに祈願して授かった申し子であったので、御神霊の御加護によって我が子を探し当てることができたと伝えられている。

この伝説は謡曲「桜川」となり、いまにこの地に語り伝えられ、世に知られている。

木花神社(権現様)

コノハナサクヤヒメが海幸彦・山幸彦らを出産したとの伝説あり。
木花佐久夜毘売は自らの皇子を出産する際、生まれ来る子が天津神の子であることを証明するため産屋に火を放った(天孫降臨を参照)が、その時の産屋の跡と伝わる「無戸室(うつむろ)の跡」や、産湯に使われたとされる「霊泉桜川」が境内に残る。

無戸屋は戸がなく粘土で塗りふさがれていた産屋であったのでこの名がある。

創建は不詳だが、飫肥(現在の日南市)の領主となった伊東義祐が永禄5年(1562年)に記した『飫肥紀行』の中に木花神社の記述が見えることから、このころには既に神社として存在していたとみられる。

かつては境内に木花山法満寺があったが、現在は廃寺となり阿弥陀如来像を安置する仏堂だけが残されている。

終戦までは、木花の婦人会などが、出征軍人の武運長久や安産祈願のために参篭する風習があった。

日南線・木花駅から徒歩15分。

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