木崎浜「青年松」秘話

青年松
青年松

由来碑のうらには次のような詩がきざまれています。

村の守りと仰がれて
太り太りし磯馴れ松
春の浜辺に 夏の川
秋の月夜のさすらいに
昔偲ばす冬の風
木花の若人かくあれと
剛く雄々しく根を張りて
八重の高潮支えつつ
緑いやます松並木
これぞ われらの 「青年松」
原文のまま

宮崎県はこの黒松の大部分を伐採して、そのあとに、
津波対策として、避難タワーをつくろうとしていました。

最終的には、この松林を管理する、木花地区の反対で、
避難タワーの建設は中止されました。

実はこの松林は、木花地区先代の青年たちの発想と、
奉仕(ボランティア)で、植えつづけられてたものです。

南北の端から端まで約1キロ、東西やく500メートルのはばに、
立派に成長した松林が、のびています。

これこそが明治時代に地区の青年たちが、日向灘から、
いつ、おそってくるか知れない高潮や津波をおそれて、
植えつづけた黒松なのです。

いつごろからか、地区の人々は、黒松のことを「青年松」と、
よぶようになりました。

その背景には、いまからおよそ350年前に発生した、
日向灘地震(外所、とんところ地震)の教訓がありました。

このときの地震で、当時、木崎浜の沖にあったとされる、
一つの集落が海底にしずみました。

その周辺で漁をしていて、海底から当時の生活用品を引きあげただとか、
昭和時代には海底調査も行われて、集落の痕跡も確認されています。

木崎浜の西に位置する島山には、
日向灘地震(外所、とんところ地震)の記憶を風化させないために、
50年ごとに鎮魂碑がたてられます。

最初の頃のものは朽ち果ててわずかな形しかありませんが、
10年前にたてられた碑の生々しさが、津波の恐ろしさを、
いまに伝えてます。

「青年松」は、今回の試練をきっかけに、これからも美松林風景と、
災害の時の防波堤となって、育ちつづけます。

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