日本のマラソン黄金時代を築きながらオリンピックで華を咲かせられなかった名選手たち

市民ランナー
市民ランナー
市民ランナー

市民ランナー 執筆人撮影

 1980年度代は日本のマラソン黄金時代だった

1980年代を代表するマラソン選手といえば、最初に頭にうかぶのが、瀬古利彦選手ですね。

1984年ロサンゼルス五輪では期待されたほどの成果を上げることが出来ませんでした。

1988年ソウル五輪代表でしたが、このオリンピックでも思うような成果は残せませんでした。

1980年に開催されたモスクワオリンピックの代表選手に選ばれていた瀬古利彦選手・宗兄弟等日本選手団は、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して、出場を取りやめました。
瀬古利彦選手や宗兄弟が一番期待された大会でしたが、日本にはまぼろしのオリンピックになってしまいました。

1980年代の男子マラソンといえばこの人「瀬古利彦」の名前がもっとも知名度が高かったのではないでしょうか。惜しくも14位に終わったロサンゼルスオリンピックが印象に残りますが、終盤の圧倒的なスパート力が魅力の、男子マラソンで一時代を築いた名選手でした。

双子の宗兄弟もいた!!

瀬古選手の名前を見てすぐに思い出すのが、旭化成所属の宗茂・猛兄弟です。

瀬古選手をカミソリの刃にたとえるなら、宗兄弟は肥後小刀の重装な切れ味と表現できるかも知れません。

宗猛選手は1984年のロサンゼルス五輪では4位入賞を果たしています。
宗茂選手は1976年モントリオール五輪、1984年ロサンゼルス五輪代表です。

息も絶え絶えの表情で兄弟助け合いながら走る姿は感動的でした。

観衆は熱い声援を送りました。

天才的なマラソンランナー中山竹道選手

瀬古選手と同時代には中山竹道選手がいました。

彼は生来の天才肌で、マラソンのために突如現れたような存在でした。2時間10分台、10分を割る記録を次々と出しながらも、優勝してゴールすると、彼はヘラヘラした態度を見せていたので、マスコミ連からは敬遠されることもあったようです。

そんなところに損がありましたが、長身をそらし気味の軽やかな走りは多くのファンを惹きつけました。

彼特有の個性の強さや、時には発言が歪曲されたりもしました。

戦後日本がようやく立ち直ってきた時期と重なり、日本人の心にも深い連帯心があありました。

1990年代のマラソン選手

谷口浩美選手 1991年世界選手権金メダリスト、1992バルセロナ五輪8位、1996年アトランタ五輪代表。
1992年バルセロナ五輪では、途中の給水ポイントで他の選手とのアクシデントで、片方の靴が脱げました。
「脱げちゃいました」ゴール後のインタビューの爽やかさに感銘しました。

森下広選手 1992年バルセロナ五輪銀メダリスト。

女性マラソン選手

佐々木七恵選手 1984年ロサンゼルス五輪代表

増田明美選手 1984年ロサンゼルス五輪代表、元日本記録保持者

宮原美佐子選手 1988ソウル五輪代表、元日本記録保持者

こんな記事も書いています。

トランプ大統領に杉原千畝氏や根井三郎氏の精神を煎じて飲ませたい