JR肥薩線 真幸駅には三つの幸せになれる鐘がある

真幸駅9
真幸駅9

1945年昭和20年)8月22日、多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生した。その原因は空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁が落下して肥薩線が唯一の運転ルートだったことや、戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて、復員軍人で満員状態だったことなどである。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させ、53名が轢死した。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明される。なお、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っている。ウィキペディア

幸せの裏に重い歴史を背負っている真幸駅

真幸駅5

真幸駅5

真幸駅

Canon EOS 6D (85mm, f/4, 1/350 sec, ISO200)

真幸駅ちょっと幸せなかたは鐘一つ。

もっと幸せな方は鐘二つ。

いっぱい幸せな方は鐘三つ。

いさぶろう・しんぺい号がホームに停車して、ドアが開くと
乗客達が一斉におりてきて、幸せの鐘を打ち鳴らします。

今まで静かだった山あいにホームから、幸せの鐘の連打が
こだまします。

何故か目につく女子会グループ

平日のいさぶろう・しんぺい号の乗客の皆さん方、上りも下りも
女子会グループが目につきました。

真幸駅6

Canon EOS 6D (85mm, f/4, 1/180 sec, ISO200)

真幸駅6真幸駅が全国的に有名になったのは、ある鉄道ファンの紹介からと、聞いた覚えがあります。

真幸駅8

真幸駅8

真幸駅7

Canon EOS 6D (85mm, f/4, 1/350 sec, ISO200)

真幸駅7

乗務員のみなさんの幸せ笑顔

いさぶろう・しんぺい号には、車内案内の女性乗務員が乗車しています。

停車駅では、乗客の皆さんの写真撮影を手伝ったり‥‥。

真幸駅10

真幸駅10

真幸駅11

Canon EOS 5D Mark II (20mm, f/4, 1/250 sec, ISO200)

真幸駅11

ホームからスイッチバックが見られる駅

険しい山線の区間にあるため、列車は真幸駅にいったん入り、引き返した後、再び駅の上の線路へと折り返す逆Z型のスイッチバックが設けられています。

人吉方面にむかう、いさぶろう・しんぺい号です。

真幸駅12

真幸駅12

真幸駅時刻表

地図で確認 マップコード195 252 503

ホームのはしにひっそりと

1972年(昭和47年)7月6日昭和47年7月豪雨の影響で駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350m×幅280mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み死者4名、負傷者5名のほか住家28棟、非住家29棟流失の被害を出した。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は合わせて約30万m3もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し、当駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5kmの広範囲に渡って流出した。線路と駅は復旧されたものの住居に被害を受けた世帯全戸が移転したために当駅周辺はほぼ無人地帯となった。なお、この土石流は現在においても宮崎県最大規模のものとされている。ホームには、このとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石がそのまま残されているほか、有人駅時代は駅員が流れ込んだ土砂を毎日整地していた(無人駅となった現在は接着剤で固められている)。ウィキペディア

真幸駅3

Canon EOS 6D (85mm, f/4, 1/1500 sec, ISO200)

真幸駅3

真幸駅4

Canon EOS 6D (85mm, f/4, 1/1500 sec, ISO200)

真幸駅4 巨石には黒松が植えられていました。関連ブログ
えびの高原 神秘的な火口湖 不動池 六観音池 白紫池めぐり

豊年満作のえびの路を撮る。あぜ道に並ぶ田の神さも微笑み返しの表情だった

広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする