椎葉にくりひろげられる幻想的な時代絵巻

椎葉平家まつり2017
椎葉平家まつり2017

敵味方をこえた悲恋物語

山また山をぬうようにして走る道路。深い山峡にそってひたすら走る。

椎葉は現在でも、日本の秘境。そこで秋に行われる椎葉平家まつりは、
本格的な時代絵巻。

登場人物のなりきり方、衣装のあでやかさ。

秘境という背景の中でくり広げられる時代絵巻に精霊の魂と
パワースポットの舞台が展開していきます。

源平合戦で戦い、憎しみ合ってきた源氏と平家。

勝者と敗者の間にも、いつのまにか人間の心がよみがえり、そこには、いつしか美しい恋が芽生えはじめました。

恋には敵も味方もありません。富や権力といった、かっての合戦の引き金になった力さえ無力です。

人間同士の争いのあとに花咲いた鶴富姫と那須大八郎の物語だからこそ、今日まで受けつがれ愛されているのです。

日本の秘境・椎葉

椎葉平家まつり2017

Canon EOS 5D Mark II (85mm, f/4, 1/25 sec, ISO640)

那須宗久(なす むねひさ)は鎌倉時代初期の武士とされる伝説上の人物。宮崎県椎葉村に伝わる鶴富姫伝説で知られる。通称は大八郎。

弓の名手として有名な那須宗高(与一)の弟とされる。

源頼朝の命を受け、病身の兄・宗高の代理として、宗高の次男とされる宗昌ら手勢を率いて、へ平氏残党の追討に向かい、元久2年(1205年)向山の平氏残党を討つ。

次いで椎葉に進撃するが、平氏残党が農耕に勤しみ、戦意を喪失している様を目の当たりにし、追討を取り止め、幕府には討伐を果たした旨を報告した。

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

那須大八郎と鶴富姫

椎葉平家まつり2017

Canon EOS 5D Mark II (85mm, f/4, 1/50 sec, ISO640)

宗久はそのまま椎葉に滞在し、屋敷を構え、農耕技術を伝え、平家の守り神である島神社を勧請するなどして落人達を慰めた。

椎葉 厳島神社

椎葉 厳島神社

また、平清盛の末孫とされる鶴富姫を寵愛し、鶴富は妊娠したが、その直後の貞応元年(1222)に宗久は鎌倉より帰還命令を受けたという。

宗久は「やがて安産なし男子出生に於ては我が本国下野の国へ連れ越すべし、女子なる時は其身に遣す」と言って太刀と系図を与え帰国したと伝わる。

その後、鶴富は女子を生み、長じて婿を取り、婿が那須下野守を名乗って椎葉を支配したといわれる。戦国時代に椎葉を治めた国・那須氏は、宗久と鶴富の子孫とされる。ウィキペディア

精霊とパワースポットの空気に包まれた山肌

椎葉平家まつり2017

Canon EOS 5D Mark II (85mm, f/4, 1/25 sec, ISO640)

鶴富屋敷に隣接するようにある山肌に、鶴富姫が使っていたとされる湧き水(鶴富姫化粧水)があり、ほとりに咲く和花。

鶴富化粧水

鶴富姫化粧水源

和花

鶴富姫化粧水源に咲く

椎葉村下福良の集落

下福良集落

Canon EOS 6D (20mm, f/4, 1/2000 sec, ISO500)

椎葉村下福良には、宗久が植えたものと伝えられている八村杉があり、国の天然記念物に指定。椎葉という地名は、宗久が陣小屋を椎の葉で覆ったことに由来して。

五ヶ瀬町鞍岡村鞍岡という地名は、宗久が行軍の際、山が険しく馬を乗り捨てたことから「鞍置」と呼ばれていたのが、転じて鞍岡と名付けられた。

椎葉村下福良には、江戸期に庄屋を務めた那須家住宅(国の重要文化財)がある。この住宅は鶴富屋敷と通称されるが、現存する建物は江戸時代後期、文政6年(1823年)頃の建立である。

那須大八郎・鶴富姫銅像

那須大八郎・鶴富姫銅像

民謡「ひえつき節」では、宗久と鶴富姫の伝説を題材として「那須の大八鶴富置いて椎葉立つときゃ目に涙」などと歌われるが、この歌詞は元々あった労働歌に昭和15年(1940年)になってから加えられたものである。

現在でも椎葉村には「那須」姓が多い。

椎葉 鶴富姫墓所

椎葉 鶴富姫墓所

写真録

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

元横綱 貴乃花関寄贈の相撲土俵

元横綱 貴乃花関寄贈の相撲土俵

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017

椎葉平家まつり2017