広告

宮崎うどん屋ものがたり

広告
奥野豊吉
奥野豊吉 執筆人撮影
宮崎うどん屋物語

宮崎うどん屋物語

広告
広告

宮崎うどん屋の歴史を刻んだ奥野豊吉

スポンサーリンク

奥野豊吉

やすくて、美味しくて、どこの町や村にもあるうどん屋さん。

うどんの専門店ではなくても、食堂のメニューには、無くてはならない一品です。

そんな庶民的な味を守り続けている宮崎のうどん屋が、宮崎市の北と南にあります。

長い歴史。

常連客も一元客にも変わらぬサービス。

一度食べたらやみつきになる宮崎のうどんです。

ウソだと思ってら、店の前に立ってみて
食べ終わったお客さんの顔を観察してごらんなさい。

皆さん、満足した表情でのれんをくぐってきますから。

宮崎市の北と南で今も受け継がれている老舗うどん屋

大盛りうどん

宮崎で老舗といわれているうどん屋が二軒あります。二軒とも半世紀以上の長い歴史があります。

一軒目は江平に店を構える「大盛りうどん」屋です。道路拡張などの影響で多少の移転はあったものの、昔から江平の町にありました。

近くには江平子安観音や宮崎神宮の一の鳥居があり、昔はお参りの行き帰りに食べたことでしょう。

市場帰りの人々の朝の食堂

うどん

1990年代までは「大盛りうどん」屋の西隣には農産物を取り扱う江平市場がありました。

西の柏田、富吉。瓜生野や国富町。北の花ヶ島、住吉、佐土原周辺から早朝に市場にやってきたきた人々が、朝食代わりに「大盛りうどん」を食べている姿が日常風景でした。

「大盛りうどん」屋のうどんの特徴は柔らか麺で、濃い醤油味

宮崎のうどんは一般的に柔らか麺が主流です。四国のように腰のあるうどんにはあまりめぐりあう機会がありません。

味は甘辛で、食べ終わってからもしょっぱさが尾を引くようなことはありません。

店内は以前のように昭和の香り漂う雰囲気から一変して、やや現代風な作りにかわっています。

100年続く伝統の味

レジで注文して、カウンターでうどんを受けとるセルフサービスが一般的ですが、「大盛りうどん」屋は、注文はお姉さん達がテーブルに聞きに来て、出来上がったら運んできてくれる方式です。

こんなところにも昭和の香りが感じられます。

店員さん達の対応はテキパキしていて、気持ちよく注文することが出来ます。
支払いは後払いです。

北に「大盛りうどん」屋 南には「三角茶屋」

三角茶屋

戦前の宮崎市は大淀川を境にして、経済圏が二分されていました。

江平や花ヶ島、住吉の人々は、大淀川から南側を江南と呼びました。

江平に市場があったように、江南地区にも市場がありました。

大淀魚市場です。魚市場の名称ですが、農産物も取り扱っていました。

市場帰りの朝食

そこに集まってくる南の赤江、木花、青島。南西部の清武、田野の人々が、朝帰りに食べたのが二軒目の老舗「三角茶屋」です。

「三角茶屋に寄って帰ろ」が、あの頃は朝の市場帰りの人々がかわした挨拶でした。

大淀川河川敷で行われる正月の消防出初め式の帰りに、この地区の消防団が「三角茶屋に寄って帰ろ」は、つい最近まで慣例になっていました。

川端康成も愛した「三角茶屋」

現在の新町交差点

1960年代までは現在の中村3丁目の新町交番近くにありました。

当時の新町交差点周辺の道路は今のように複雑に交差してはいませんでした。

橘橋を南下してきた道路は新町交差点で、南宮崎駅方面と江南病院方面に伸びている道路の交わる変則的な交差点でした。

宮崎南部の一等地

現在家電量販店のエディオンや西村楽器店、その周辺の幹線道路のR220号線一帯は、1960年代頃までは、広大なカネボウ宮崎工場のあった場所です。
その面影がエディオンの道路の反対側にカネボウ宮崎ビルとして残っています。

「三角茶屋」は、カネボウ宮崎工場を背にして建っていました。

店に入ると、奥の番台に奥野豊吉爺ちゃんが座っていました。
冬には綿入りはんてん姿の好々爺でした。

話したことはありませんでしたが、客には笑顔を絶やすことはなく、軽く会釈をするといつもほほえみ返しをしてくれていました。

戦争で跡取り息子を亡くしたと、人づてに聞いたことがあります。

こんな記事も書いています。

宮崎でうどんを食べるならここしかないだろう。一度食べたらやみつきになるほど美味い




漂流する「豊吉うどん(現おくのうどん店)」

二つのうどん屋

今は「三角茶屋 豊吉うどん」になっていますが、以前は「豊吉うどん」は、まったく別々でした。

奥野豊吉が経営する「三角茶屋」と女性に経営をまかせていた「豊吉うどん」がありました。

当時の常連の客達は、そんな内輪のこともよく知っていました。

本来なら奥野豊吉が経営する「三角茶屋」のうどんが本流で味も良いはずなのに、客の多くは「豊吉うどん」の味を好みました。

「三角茶屋 豊吉うどん」の味は、やや薄めのいりこだし

たぬきうどん¥230

柔らかいうどんは、のどごしが心地よく、やや薄めの出汁とからまって、いくらでも続けて食べることが出来ます。

ここも古漬けの沢庵は、お客が自由にとることが出来ます。

最大の売りは、値段の安さです。

移転つづきの「豊吉うどん(現おくのうどん店)」

豊吉うどん

「三角茶屋」が新町交番近くにあったころの「豊吉うどん(現おくのうどん店)」は、現在の「おくのうどん店」とは道路を隔てた反対側にありました。今ドラッグストアーのあるところです。

いま「三角茶屋 豊吉うどん」があるところは、そのころは「豊吉うどん(現おくのうどん店)」駐車場でした。

この辺の店名や位置関係が、すこしややこしくなりますが‥‥。

中村町の新町交番周辺の道路整備のために「三角茶屋」も移転を迫られました。

驚くことに「豊吉うどん」の場所に移転してきたのです。

お店も客も行きつ戻りつ

お客の目には「三角茶屋」が「豊吉うどん」を追い出したとの印象を持ちました。

すると「豊吉うどん」は道路を隔てた場所に、あたらに「豊吉うどん」を建てました。

いま「三角茶屋 豊吉うどん」のある場所です。

これでようやく落ちついた。「豊吉うどん」が食べられる、と客のだれもが安心していましたが‥‥。

ところがあろうことか、またまた数年後には「三角茶屋」は、「豊吉うどん」の場所に攻め込んできて、「豊吉うどん」を追い出してしまいました。

内部的にはどんな葛藤があったのか知るよしもありませんが、客の目には異様に映りました。

「豊吉うどん」は諦めることもなく、路地をはさんだ西側に「吉兆うどん」と名称をかえて、新たにうどん屋を開きました。

宮崎うどん屋食べ歩き!忠太郎茶屋・手作り昆布佃煮が絶品!

「吉兆うどん」の静かなるバトル

おくのうどん

これでどうにか落ちついたかに思えた「吉兆うどん(現おくのうどん店)」が数年後に、再び経営のゴタゴタに捲きこまれました。

今までは「三角茶屋」という外部からの圧力でしたが、今度は内部の反乱がおきました。

それまで永年「豊吉うどん(現おくのうどん店)」で働いてきた、うどん職人達が独立の動きを見せはじめました。

新しく自分たちで出した店の名を{吉兆うどん」にしたのです。

知らない客達は、ようやく「吉兆うどん(現おくのうどん店)」も支店をだしたのだと、通い始めました。

看板替えの忙しさ

実際には「吉兆うどん(現おくのうどん店)」は、支店ものれん分けもしていません。

最初の一年間ぐらいは、昼食時にはいつも駐車場は満杯状態。レジ前の客が入り口の外に並ぶこともありました。

職人達にも分派があり、そこから「めぐみうどん」「和みうどん」と次々に店は広がっていきました。

その間に「吉兆うどん(現おくのうどん店)」も色々対策は考えたようですが、表立った争いはありませんでした。

そして最後に打った手は、自らの店名変更でした。

「おくのうどん店」




一番正直なのはお客さん

たぬきうどん¥220

ネットやSNSで拡散されて、最近は宮崎でも一部のラーメン店、うどん店などで、お客の行列を見かけることがあります。

時代の流れに左右されないで、お客さんの立場に立って、堅実に経営をつづけてきたからこそ、「大盛りうどん」「三角茶屋 豊吉うどん」「おくのうどん店」は、今も繁栄を保ちつづけているのです。

選択肢のおおい宮崎のうどん屋

これらの三店舗は、四季を問わず、お昼時にはいついっても客足が途絶えることはありません。

「吉兆うどん(現おくのうどん店)」から独立したうどん屋の中には、他に経営権を奪われたところや、開店当初の客足はぱたりと止まってしまったところもあります。

その中で唯一「おくのうどん店」に迫ろうとしているのが、和みうどんです。

広告
広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

広告