延岡城趾 城山をたずねる

延岡城趾
延岡城趾

江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城である。築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。縣藩、後の延岡藩の政庁、臼杵郡地域の拠点とされた。 もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられている。

延岡市松山町にあった中世・戦国期土持氏の拠点城郭松尾城(当時は縣城とも)を延岡城とする記述が見られることがあるが、これは誤りである(詳細は松尾城 (日向国)参照)

延岡城には、ある石をはずすと一気に全壊し、一度に千人の敵兵を殺すことができるという石垣があり、「千人殺し」と呼ばれている。

天主台跡に鐘付き堂があり、現在も1日に6回、市民に時刻を告げている。歌人若山牧水もその様子を歌に詠んでいる。ウィキペディア

二ノ丸広場にあるひときわ目を引く石垣は、「千人殺しの石垣」

地図で確認 マップコード136 889 415

延岡城趾5

Canon EOS 5D Mark II (24mm, f/2.8, 1/125 sec, ISO100)

延岡城趾5

内藤政挙公の銅像

延岡城趾6

延岡城趾6 内藤政挙公の銅像 延岡藩最後の藩主です。
維新後は文教の興隆に尽力した他、経営する日平銅山から電気を引くなど、延岡の発展に力を注ぎました。

延岡城趾9

延岡城趾9

城山の鐘

延岡城趾10

延岡城趾10 城山の鐘と鐘つき夫婦の住居

明治11年に今山八幡宮の鐘を、城山に移し鐘楼を建てました。以来100年以上にわたり、時を知らせています。

初代の鐘は内藤記念館に展示され、現在の鐘は二代目になります。

毎年6月10日の時の記念日に「城山の鐘まつり」が開催されます。

延岡城趾7

Canon EOS 5D Mark II (24mm, f/5.6, 1/640 sec, ISO100)

延岡城趾7

懐かしき情緒

大正、昭和時代の香りのする男子便所。女子便所も同じ作りです。

延岡城趾2

延岡城趾2

工都延岡の街なみ

延岡城趾11

Canon EOS 5D Mark II (24mm, f/5.6, 1/2500 sec, ISO100)

延岡城趾11天守閣広場からは、大瀬川、旭化成の大煙突が展望できます。

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