幼子はすべて門前の小僧なり 見よう見まねではぐくまれる感性

鯉のぼり
鯉のぼり 執筆人撮影

幼子はすべて親の門前小僧

鯉のぼり

記憶力大会に「般若心経」を読む幼児が出現した理由を、ビジネス情報サイトが報じていました。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」は、江戸いろはカルタの『も』の文句ですが、しっかりこの意味を知ろうと思い、インターネットで文句を打ち込んだら、「故事ことわざ辞典」に説明がありました。
 お寺の門前に住んでいる家の子どもや、寺の小僧は、日ごろから僧の読経をきいているから、いつのまにか般若心経ぐらいは、いえるようになっている。
 平生、見聞して慣れていれば、知らず知らずのうちに、感性が育ちそれを学び知るようになる。
 お寺の小僧が門前にいるのなら、玄関や庭の掃除をしながら、聞こえてくるお経を聞いているのでしょう。

映画「男はつらいよ」の和尚さんと小僧のイメージが浮かびます。

数年前に、四国八十八ヶ所歩き遍路をしたときに、門前の遍路宿の女将さんが、「子供のころから聞いていたから、自然といつの間にか覚えた」と、般若心経のことを話していました。

幼子の記憶力は、親が考えている以上に、発達しています。

NHKEテレのキッズ番組を見ていると、三歳、四歳の幼児が、イロハニホヘトだとか、数の単位を無限大まで、スラスラ唱えているのには、いつも感心させられます。

途中であきらめたりしないで、続けることが大切ですね。やはり継続は力なり。

様々の遊び心が感性を育てる

般若心経

我が家の仏間も子供の遊び場兼教室みたいになる時間帯があります。

私が朝晩、線香を上げ、般若心経を読経しているときです。

いつのまにか、ゼロ歳から五歳までの子供三人が、そばに来て手を合わせています。

ゼロ歳は、おぼつかないハイハイで、上の二人をおってきます。

三人は仏壇の前までやって来て、見よう見まねで、鐘や線香立てなどを自由気ままなおもちゃにしてしまいます。
読経の最中に、鈴をはげしく打ち鳴らします。お珠々の取りあいをはじめます。

そうやっているうちに、月日が経つにつれて手を合わせることを悟り、

「病気になりませんように」などと唱えはじめるようになりました。

親の朝晩の勤行で唱えている「般若心経」を教えるのではなく、子供達は耳学問でいつの間にか覚えているようです。

教えるのではなく覚えたくなる環境整備が大事ですね。

自然は子供の学校

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保育園の行き帰りに農道を通ります。

春の田植えには「お米をうえている」

梅雨の時期になると「お米の花」

秋には「お米がなった」

と、成長に応じて表現の幅が豊かになってくるのを感じます。

幼子はすべて門前の小僧なり 見よう見まねではぐくまれる感性を、日々、実感です。

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