杉原千畝氏と根井三郎氏

花開くとき
花開くとき

76年以上も前に難民救助に奔走した日本人の姿

トランプ大統領が就任して以来、アメリカ社会が二分しているように見えます。

特に、移民問題に関しては、強硬姿勢で裁判での争いにまで発展しています。
メキシコとの国境に壁を築くと、これまでのアメリカ大統領では考えも及ばなかったようなことを、平然と実行しようとしています。

アメリカ第一主義を掲げるあまり、人道主義や博愛の精神を置き去りにしようとするのでしょうか。

第二次大戦末期の日本の外交官 杉原千畝氏や根井三郎氏

杉原千畝氏を支えた根井三郎氏

根井三郎氏は第二次大戦時の外交官でした。

日本から遠く離れたヨーロッパで

ヨーロッパにおいてはユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が深刻な時代でした。
根井三郎氏を語るうえで最重要な人物が、三年先輩の杉原千畝氏です。
同じく第二次大戦時の外交官です。

そんな時代背景の中、ポーランドのユダヤ系住民たちはナチス・ドイツからの迫害を逃れるために、トルコやオランダ領に逃れようとしたが、いずれの領事館からもビザは発行されませんでした。

ナチス・ドイツからの迫害を逃れることが出来なければ、自分たちもホロコースト収容所送りは確実でした。

各国の領事館からビザ発給を拒否された人々は、最後の望みをい抱いて、日本領事館に殺到しました。

杉原千畝氏は様々の手法を用いて、難民化したユダヤ人を合法的に日本へ送る手続きをはじめました。

一時に大量の難民たちのビザを発行するために万年筆が折れたほどだと伝えられています。

この様な杉原千畝氏の要請を受けたのが、ウラジオストク駐在総領事代表を務める根井三郎氏でした。

信念を貫いた2人とまわりのスタッフたち

根井三郎氏は次々にウラジオストクにやってくるユダヤ難民を、外務省の反対を押し切って、日本に送るために奔走しました。

杉原千畝氏も根井三郎氏も次の言葉を信条にしていました。

ハルビン学院の創立者である後藤新平の「自治三決」です。

NIKON D800 (60mm, f/2.8, 1/6400 sec, ISO100)

自治三決

人のお世話にならぬよう
人のお世話をするよう
そして報いを求めないように

二人はその信条を実行していたのですね。

最近のヨーロッパ難民に対する日本国の対応を見ていると、杉原千畝氏や根井三郎氏がいかに人間愛に満ちていたかがよくわかります。

ユダヤ難民を救った命のバトン

根井三郎
1902年(明治35年)、宮崎県廣瀬村に生まれる。ハルビン学院の後輩で、元・ウラジオストク総領事代理。シベリア鉄道を使って遙々やって来た難民の窮状に同情し、書類不備を理由に日本入国に難色を示す外務本省に抗議した気骨の外交官。ロシアのみならず、中東情勢にも詳しく、「列国の注目を集める新興国イラン」(『世界知識』13:03, 1940年)などの論文で知られる学究的側面もあった。戦後は法務省に移り、名古屋入国管理事務所所長を最後に引退。1992年(平成4年)に、90歳で没した。『自由への逃走』に登場。ウィキペディア

杉原千畝だけではない、ユダヤ人を救った日本人
もっと焦点を当てていい、日本人の人道支援