老人よ大志をすてて小志をいだけ

レイアウト暮らしの中で
レイアウト

 

 

明治初期、北海道農学校に赴任していたアメリカ籍の教授が、

任期を終えて帰国するときに農学校の生徒たちむかって

「少年よ大志をいだけ」と、ありがたい言葉をさけんだらしい。

大志の世界を思いえがきながら、17、8歳の少年たちは、頬を赤らめたにちがいない。

夢を抱きしめて、希望にもえたぎった少年たちにとって、これほどありがたいメッセージはほかになかっただろうと、令和時代になっても輝いて聞こえる。

わかい少年たちには未来があります。希望もたくさんあります。
失敗をおそれず、何にでも挑戦することができます。

失敗と挑戦をくりかえして人生をきりひらいて来た少年、少女たちも
50年後、60十年には、立派な老人世代にたどりつきます。

これから先、もう大志はのぞめません。
この世代になってもまだ、大志をだいているぞ、なんて態度をみせたら、
世間から「年寄の冷水」と笑われてしまいます。

まわりからは歳に似合わぬ危うい行動にみえたり、老人の差しでたふるまいにしか映りません。

 

老人の志は、大志よりも小志が似合います。

小志とは、明日の希望と夢のことです。
明日の希望とは今日とおなじように健康で過ごせること。

明日の夢とは、明日の次の日も、またその次の日も、健康な一日を過ごすことです。

身体さえ健康ならば、明日、仲間たちをさそってパターゴルフに行けます。
休憩時間の世間話のなかから、「コロナがおさまったら温泉にいこう」
と、夢も膨らんできます。

過去にあじわった挫折と栄光はきれいさっぱりと洗いながして、
頭の中を空っぽにしてしまえば、学歴も肩書きも消滅してしまいます。

権威をすてて、まわりと肩をならべ、議論せず、聞き役に徹し、
にが虫はかみつぶさずに、つねにおだやかな表情ならば、
それが老人にとっての小志、いやひょっとすると大志になるかもしれません。

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