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坂上忍、両親の離婚理由告白!「子供から頼んで、離婚していただいたの」その頃、彼らは一度我が家にやって来た

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坂上忍家の葛藤

新聞記者だった坂上の父親は出版社を立ち上げ、借金1億円を残し

、坂上と母親の前から姿をくらました。坂上母子に多額の借金が残

り、両親は坂上が中学を卒業した15歳の時に離婚。坂上が働いて

父の借金を全て返済した。

坂上は4年前に亡くなった父親の「葬式にも出なかった」と明か

し、「僕は会ってないんです。イヤだから」と完全に気持ちの上で

は決別していることを明かした。

私はその坂上忍さんの父親と友達でした。

忍さんが14歳の頃、一度宮崎の我が家に父親と2人でたずねてきたことがありまし

た。

私の子供の病気見舞いでした。

私の子供を県庁に連れて行って、当時の松方知事に面会させて、励ましのコトバをもらったり、橘通の西村楽器店の前で、坂上忍君のサイン会をして、子供の治療費の足しにしてくれました。

父親は新聞記者だけあって、行動力のある人でした。

その時には地元UMKのテレビも、病室に取材にきていました。

母親も一緒に東京から来ましたが宮崎では、2人とは別行動でした。

その頃すでに彼はアイドルだった

田舎のあばら屋に、今をときめくアイドルが来た、どこから聞きつけてのか、その夜には、小学生から高校生ぐらいの子供さん達が、我が家にゾロゾロ集まってきました。

いまでもふとしたきっかけで、35年前後のその時の話をきくことがあります。

我が息子は、闘病の甲斐もなく15歳の寿命を閉じました。忍君とは1歳年下でした。

それから一年後、父親の坂上勝也さんが一人でたずねてきたことがあります。

いま思えば、おそらく家族と離別直後のことだろうと察せられます。

漂流する父親

本人は離婚のことは何も話しませんでした。彼も私も酒が好きなので、その夜は我が家で焼酎を酌み交わしました。

彼は太宰治に陶酔していて、その夜も彼の文学論を肴に夜を更かしました。

「松ちゃん.一万円貸してくれ」

次の朝、彼はそう言いながら

「これから大分に行って、ある人と会う」と話しました。

おそらく金銭の絡んだ話だろうと思いましたが、私は何も聞きませんでした。

その日彼と別れて以来、一度も会っていません。

ひと月ほどすると、我が家気付で坂上勝也殿宛ての大量の手紙が舞い込むようになりました。

一見して借金の督促状だと分かりました。

私は郵便局に出向いて、我が家にとどく坂上勝也宛ての手紙の受け取り拒否の手続きを取りました。

坂上忍の根性

今回のサイトに掲載されている坂上忍さんの記事にあるように、ちょうど離婚前後の事だったように思われます。

彼の父親の失敗の原因の一つに、余りにも深く太宰治に傾倒しすぎていたためのような気がします。

この辺りのことは昨年NHKで放送されたヒストリー物語で詳しく語られています。

最近の坂上忍さんのテレビ番組を見ていて、一本筋が通っているのは、青春期に人生の辛苦を経験しているのが、肥やしになっているからかも知れません。

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