神武から平成そして令和天皇陛下の心遣い

宮崎神宮
神殿に向かう神々

日本国民が天皇陛下のお気持ちを知った日

宮崎神宮

Canon EOS 7D Mark II (50mm, f/2.8, 1/500 sec, ISO100)

平成28年8月、天皇陛下が「お気持ち」を述べられました。
なんの前触れもなかったので 驚き 姿勢を正して聞きました。

そこには印象的な言葉が随所にありました。

政府は、天皇陛下が生前退位の意向がにじむお気持ちを表明されたことを受けて、10月中旬にも有識者会議の初会合を開き、具体的な対応の検討を始めることにしています。

「これまでのように、全身全霊を持って象徴の努めを果たすのが難 し くなるのではないかと案じています」
日本国民の一人として自分は、この様に全身全霊で物事に立ち向か っているか。考えさせられる重い言葉です。

「これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった 場 合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり 、私の あとを歩む皇族にとり良いことであるか考えるようになり ました」
とも述べられました。

「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考え、同時に 事 にあたっては、人々の傍らに立ち、声に耳を傾け、思いに寄り 添うこ とも大切なことと考えてきました」

皇室と若者世代

若い世代のデジタル社会では、どこに皇室との接点を求めれば いいのか、答えが見いだされないのかも知れません。

答えは簡単です。自分たちも一人の日本国民だと自覚するだけで良いのです。

ボケモンGOに夢中になっている自分たちも、日本国民です。

天皇陛下は「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考 え」ておられます。

ボケモンGOに夢中になっている自分たちの傍にも、「人々の傍らに 立ち、声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてき ました」

天皇陛下は国民に分け隔てなく、傍によりそっておられるのです。

自分たちの壁を取り除こう!!

自民党、共産党関係なく

宗教の宗派にも関係なく

極右・極左にも関係なく

日本国民である以上、今回の天皇陛下の「お気持ち」を共有しまし ょう。

平成天皇、長い間ご苦労様でした。
一刻も早く公務から離れられて 、ごゆっくりお休みください。

国民の前に公に退位の意向が報じられたのは平成28年7月13日 午後7時のNHKニュースでした。

平成の年号

平成の新年号を発表する小渕官房長官。




相手を思いやる気持があふれ出ている天皇の姿

天皇・皇后両陛下が国民の前に 姿を現されるときには、常に相手の目線で話されている姿です。

特に阪神淡路大震災以降に各地の被災地に訪問されたときには、体育館や公共施設の床にひざまずかれ、被災者と同じ目線で話を聞か れ、話されている姿です。

当時の村山総理一行が土足のまま被災者の前に立っている姿と比較 されて、天皇陛下の国民に寄り添ったお気持ちが強く映りました。

空気のような存在の日本人の源泉

日頃私たちが目にする天皇の姿は、常にほほえみかけ、優しい表情 で人々に接しているお姿です。

高圧的であったり、国民の前では硬い表情を崩さないという、造ら れた天皇の姿ではなく、日本国民の一人一人が象徴としての天皇陛 下を実感できるお姿です。

それでもなお、実態として天皇に対する国民の関心はあまり高くな いようです。

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譲位表明の背景とは

今回の譲位表明の背景を、ある宮内庁関係者が説明する。

「ご体調の問題のほかにも陛下は、皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁 さまという皇位継承の流れを明確にしたいお気持ちがあるようです 。
現在小学4年生の悠仁さまは順調に成長し、長期静養中の皇太子妃 雅子さまも復調ぎみです。次の世代に安心して引き継ぐことができ るようになったので、そのご意思が漏れ伝わってきたようです」

今年83歳(平成28年・管理人注)の陛下は、昨年12月のお誕生日の 記者会見で、「年齢というものを感じることも多くなり、行事のと きに間違えることもありました」と話されている。

「両陛下とも最近は、公務中に補聴器を使うことも増え、この春の 園遊会での懇談でも、陛下が招待者との会話を一部、聞き取れなか ったか理解できなかった場面もあり、心配申し上げていました」( 前出・宮内庁関係者)

「生前退位報道」そのとき天皇陛下と美智子さまは何をされていたのか

2020年開催の東京オリンピックは新元号のもとで

知らぬ 存ぜぬは常套句だった!! 

宮内庁 寝耳に水!!

管官房長官 そのようなことは一切承知していません。。。

新元号発効の時期を報道各社が報道すると、申し合わせたようなコメントを発 表しました。

昨年夏の夜に突如、譲位のニュースがNHKでながれたあとにも、今 回と同じように宮内庁や管官房長官は否定をつづけていました。

しかし、日が経つにつれて今回の新元号のながれも、具体的に判明 してくるようになりました。

天皇陛下から上皇へ

ただいまシナリオ推敲中!!

天皇陛下が在位30年目を迎えられる節目の平成31年の元旦譲位。

譲位に伴う関連法案は、有識者会議の報告と衆参両院の議論を踏ま え、今年5月にも国会に提出。

譲位は「1代限り」

皇室典範改正は最小限にとどめる。

平成31年元旦に、国事行為である剣璽等承継の儀」(三種の神器 等引き継ぎ)と「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)を宮中 で行う。

そして、官房長官が速やかに新年号を発表する。
という流れが、現段階ではできているようです。

まぼろしの邪馬台国と古代天皇の誕生

京大名誉教授で古代史学者の上田正昭さんが昨年三月に死去されました。
古代国家や渡来人などの研究で知られる古代史学者で、京都大名誉教授の上田正昭(うえだ・まさあき)さんが13日、京都府亀岡市の自宅で亡くなった。88歳だった。

倭の五王は果たして誰か?

近頃、天皇陛下の譲位表明などと重なって、改めて古代天皇に関心をだいています。 若い頃、日本神話にはまっていた時期があって、上田正昭さんの『日本神話』岩波新書、1970年を読みました。

古事記の日本創世の頃の出来事がおもしろくて、岩波新書を繰り返し読んでいたことが思い出されます。

倭の五王・讃、珍、済、興、武を古代天皇と比較しながら、朝鮮半島からの渡来人の物語は、面白くて読みふけりました。

はたして倭の五王は何者なのか。

一般的には「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇と考えるのが通説である。ウィキペディア



卑弥呼とはだれなのか

上田正昭さんの著書がきっかけで、卑弥呼・出雲。魏志倭人伝など日本古代史に興味を持つようになりました。

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼とは何者なのか
その頃、日本列島は何人もの王が各地を支配していました。
その王たちを一つに束ねていたのが、いわゆる倭国の女王・卑弥呼なのか。
それとも日本列島の一つの地域である邪馬台国だけを支配していた神がかり的な女性(シャーマン)なのか。
倭国と邪馬台国は同一か。等々、上田正昭さんの物語が想像をふくらませてくれました。
中国の『三国志』における「魏志倭人伝」(『三国志』魏書東夷伝倭人条)では、親魏倭王卑弥呼は、約30の国からなる倭国の都としてここに住居していたとしている。なお、現存する三国志の版本では「邪馬壹國」と表記されているが、晩唐以降の写本で誤写が生じたものとするのが通説である。現代人の著作の多くは、それぞれ「壱」「台」で代用しているので、本稿でも「邪馬台国」と表記する。
倭国は元々男王が治めていたが、国の成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70-80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱の時期は2世紀後半)。そこで、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。狗奴国との戦いがあった時期とされる248年頃から間もなく卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。ウィキペディア

古代史疑の中の日本

古代史研究家の井上光晴さんや上田正昭さんの物語シリーズなどの下地があって、その後の推理作家 松本清張さんの「古代史疑」に代表される、古代史推理ブームの流れになりました。

長崎県島原市の島原鉄道の役員だった宮崎康平さんの「まぼろしの邪馬台国」も、日本中に古代史ブームをまきおこしました。

まぼろしの邪馬台国を求めて

『まぼろしの邪馬台国』(まぼろしのやまたいこく)は、宮崎康平による日本の書籍。宮崎の半生と邪馬台国が島原にあるという学説とを同時に記した作品であり、小説でもなく評論でもなく分類が難しい作品。2008年(平成20年)秋、吉永小百合主演で映画化された。
「邪馬台国はどこにあったか」という、いわゆる邪馬台国論争は専門の学者らの間でしか語られていなかったが、本作がきっかけとなり、一般人にまでその論争に火が点いた。邪馬台国の位置については、畿内説と九州説の二大仮説があり、宮崎は九州説を支持していた。
1980年(昭和55年)、その後の更なる研究内容が加筆された決定版が出版された。書籍はいずれも絶版であったが、2008年(平成20年)8月に講談社より新装版が発売された。
邪馬台国があった場所を生涯探し続けた宮崎康平と、盲目の康平を支え続けた妻・和子の物語。ウィキペディア